3月10(土)に行われた
「石上三登志さんの明るく楽しい日本映画もあるのだ!」第二回の様子をお伝えします。
<第2回>たとえば『暗黒街の対決』と『野獣の青春』
量産プログラムピクチャーのなかを駆け抜ける岡本喜八と鈴木清順
本題に入る前にひとつ、
映画とは、写真が動いたもの
TVとは、ラジオに絵がついたもの
として始まった。
■量産プログラムピクチャーが育てたスタジオシステム
量産プログラムピクチャーとは、毎週のように生まれては消える量産型映画のこと。ある程度パターンの決まった低予算・短期間のジャンル・ムービー。
ひとつのスタジオシステムが丸抱えで毎週映画をつくり続けていくため、スタジオ内で新人を発掘し、スタジオ内で人材育成を行う、現在のテレビと似たようなシステムをとっていた。
スタッフにとっては決していい環境ではなかっただろう。でも、ここから育った日本映画というものがあったのではないだろうか?日本映画にとっては良い土壌だったのかもしれない。
■『暗黒街の対決』に見る岡本喜八の動体つなぎ
映画におけるカットつなぎとは、普通絵と絵をつなぐものだが、岡本喜八の場合、動きと動きをつなぐ動体つなぎによってカットがつながれている。これが、岡本喜八独自のリズムを生み出しているのではないか?
岡本喜八は体内に独自のリズムとユーモアをもっている人だった。量産プログラムピクチャーなのに、何を作っても岡本色が出てくる不思議は、そこに起因しているのかもしれない。
■『野獣の青春』に見る鈴木清順の空間活用
プログラムピクチャーの宿命は“お仕着せ”。回ってきたシナリオを、シナリオはそのままでいかに映像的にかえていくか?!ということが、ある種、エネルギーのはけ口になっていただろう。同じ日本ハードボイルド的・映画のルーティーンをやりながら、岡本喜八は動体つなぎ、一方鈴木清順は無音でみせている。この違い!特に鈴木清順は空間の演出が非常に上手な人。それに対し岡本喜八は時間の演出に長けていたといえるかもしれない。
■岡本喜八と鈴木清順
たとえば「休憩」というアイデア。かつて2時間近くの大作映画には、必ず間に「休憩」が入っていた。「休憩」のお知らせは最初からフィルムに焼きこまれているものであり、「休憩」が入っていることは、大作映画のひとつの証明だった。
そんな常識のもと、鈴木清順はプログラムピクチャーの中で「休み」の文字をスクリーンに大写し。実は「一週間ほどお休みします」という看板だった。
一方岡本喜八は、開始早々に「終」の文字を入れて、観客を驚かせている。
どちらも遊びが好き。プログラムピクチャーに対しての現場の反骨精神をもっている。
岡本喜八と鈴木清順、この二人は「似て非なる二人」であった。
■量産プログラムピクチャーの終わり
TVの影響が強まるにつれ、量産プログラムピクチャーは姿を消していった。映画会社がTVのことをあまりに考えなさ過ぎたこともその原因の一端を担っているといえるだろう。
映画とは、写真が動いたもの。TVとは、ラジオに絵がついたもの。同じ映像ではあってもまったく異なるものであるはずだが、岡本喜八の個性はTVの中でも失われることはなく、輝き続けた→『助太刀屋助六』
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次回第三回はどんな日本映画に出会えるのでしょう。
第三回
「石上三登志さんの明るく楽しい日本映画もあるのだ!」
3月24日(土) アート・アニメーションのちいさな学校地下劇場にて。
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